ぽっくり死ねたら
退職後、または数年遊んだ直後、または病気を患う前に、
ぽっくり死ねたらいいです。
虫が良すぎますが。
でも、誰もがそう思っていると思います。
精一杯生きたい。
で、それが終わったら、誰にも迷惑をかけないよう、スパッと
消えてなくなりたい。
鮭なんて、いいですよね。
人生最後に産卵という一大イベントが待っていて、それが終わると
スパッと死んでしまえる。
老後なんてない。
僕達人間は、命をきちんと使いきっていないだけなのでしょうか。
100%使いきってしまえば、ぽっくり死ねるのでしょうか。
今日の毎日新聞夕刊のコラム憂楽帳「死とは」に
とありました。
飼い犬が今年5月に死んだ。
16歳は人間なら80歳前後。
天寿だったかもしれないが、最後の日々はつらかった。
衰えていくのを見ながら何もしてやれず、無力感に襲われた。
今年春に亡くなった近所のゴールデンレトリバーも同じでした。
若い頃は僕の姿を見ると、お友達のトラ猫と一緒に、競うように
駆け寄ってきてくれましたが、年老いてからは動きが鈍くなり、
柵の側に寄ってきてくれることも少なくなり、亡くなる前の数日は
ほとんど動くこともなく、最期は飼い主の家の中で息を引き取ったようです。
野良猫や野生の動物なら、もっと急激に弱って死んでしまうか、
他の動物に食い殺されてしまうのでしょう。
それが自然な死ということでしょうか。
ならば、徐々に進む老衰による穏やかな死は、不自然な死に方、
というよりも、これまでにない死に方、ということになるのでしょうか。
生き延びるために、守って、戦って、学んで、気がついたら
殺されない存在になっていた人類と、その庇護を受ける者たち。
前例のない現状ならば、過去のタブーなど意味を持たないでしょう。
…安楽死………。
『暗い話』カテゴリ、復活しました。
理由は、右上のトゥ・ハッシュタグに、少しでも
読者を呼び込むためです(^_^;)
え?逆にヒかれてしまうかもしれないって?
いいんです。
なんだか、ブログを分割するのって、身が引き裂かれたような気分なんです。
sutara_lumpur、toumin_m7というオモテ用の名前の他にも、アングラ用の
名前をひとつ使ってます(-_-;)
でも、それはいいんです。
使うべき人格が違うんですから。
鬱なすたらとにわかプログラマのすたらは、性格は違えど同一人格です。
表の私の意見表明は、すべてこの『すたら日記』から発信します。
あ、短い意見はtwitterで。