自分の末路は

僕は、おそらく首を吊って死ぬと思います。


中学生の頃、首を絞められて気絶したことがあります。
掃除時間中、渡り廊下で僕より背の高い友人とふざけあって
いるうちに、友人が僕の首を掴んで宙に浮かせました。
『なんだか普通のふざけ合いとは様子が違ってきたな。
さて、どう反撃するか…』
と考えているうちに、気を失いました。


実際には気を失ったことすら覚えていなくて、僕の記憶の流れでは
首を絞められていると思ったら、七色のマーブル模様の世界に
迷い込んでいて、そのぐにゃぐにゃとねじ曲がった色たちが
徐々に整っていくとともに、なんだかザワザワと騒がしい声が
聞こえてきました。
そして、『うるさいな』と思って目を開けると、廊下に仰向けに
寝かせられていました。
おそらく、気を失った僕に驚いた友人がそうしたのでしょう。


起き上がろうとしたら、背中がズキズキと痛みました。
外部からの痛みではなく、神経自体が痛んでいる、という感じでした。
そして、ズボンが濡れていました。
バケツの水でもぶっかけられたのかと、その時は思いました。
当然、それは失禁によるものだったのですが。


友人は、かなりうろたえている様子でした。
が、僕としては、背中は痛むものの、他には別に気にかかるところも
なかったので、
(友人)『だ、大丈夫か?』
(僕)『? おう…。』
という感じで、教室へ戻って行きました。


この記憶がある限り、首吊りへの誘惑は断ち切れないでしょう。
首を絞められて宙に浮いている間、ちょっとした息苦しさはあったものの
すぐに気を失ってしまい、長くは続きませんでした。
テレビドラマの殺人シーンでよくあるような、もがき苦しんだ末に
ごとりと気を失うというむごたらしさはありませんでした。
とてもスマートなんです。
ただし、それは宙に浮いた首吊りの場合に限ると思います。


これまで、3回ほど首吊りによる自殺を試みました。
それは、どれも中途半端な覚悟と方法によるものだったため、
苦しさと恐ろしさで、途中でやめてしまいました。
きちんと、覚悟を決めて体を宙に浮かせれば、あとは数秒の
息苦しさを我慢するだけだと思います。


老いや貧窮や病に悩まされるようになったら、きっと首吊りを考えるでしょう。
それは、事業に成功して金持ちになっても、失敗してひきこもりのままでも
どちらでも同じだと思います。
自分の末路は、鴨居に縄をかけ、失禁対策として大人用オムツを履き、
ぶらんと宙に浮いた老人の姿です。


成功しようと失敗しようと、末路は同じ哀れな骸。
ならば、むしろ開き直れるというものです。
恥ずかしさや見栄を捨てて、自分の好きなことを、やるべきだと思ったことを
一心に努力して成し遂げようと思います。


これが、2011年の私の抱負です。