中学へ進む姪への手紙(案)

以前の記事で紹介した漢和辞典を、姪(正確には従姉妹の子)に贈る際に添える手紙の文面が決まりました。
(http://d.hatena.ne.jp/sutara_lumpur/20120113/1326418163)


元旦の親戚の集まりで従姉妹と相談して漢和辞典を贈ることが本決まりしてから、気が向いたときにちょっとずつ文章を考えてきたので、ちぐはぐな印象になっているかもしれません。
ただ、もはや自分にはそれを客観的にチェックすることができないので皆さんに読んでいただきたいのと、元のテキストファイルを消失した時のバックアップとして、このはてなダイアリーで公開することにしましたm(_ _)m



○○さんへ



もうすぐ中学校へ進みますね。おめでとうございます。
お祝いに、ささやかですが、この辞典を贈ります。
はっきり言って、この辞典が学校での勉強に直接役に立つことはほとんどないと思います。
が、辞典を含む『辞書』は、知識を消化吸収しやすいように噛み砕くための大切な『歯』です。


○○さんは、『批判』『批准』という言葉を知っていますか?
『批判』は『非難』と似ていますが、ちょっと違います。
まあ、『冷静に文句を言う』というイメージが浮かべばそれで十分です。
『批准』は、条約を結ぶ場合の手続きの一つです。
より厳格な順に並べると、『署名 > 批准 > 受諾 > 加入』となります。
新聞で『条約に批准した』という記述を見かけたなら、『条約を結んだのだ』と受け取って構いません。

では、漢和辞典で『批』の意味を調べてみましょう。
字の読み方が分かっている場合は『音訓索引』が使えますし、分からなくても部首を手がかりに探す『部首索引』、さらには奥の手として総画数のみを手がかりに、しらみつぶしに探す『総画索引』があります。
今回は『部首索引』を使ってみましょう。
表紙の裏に、部首索引の欄があります。
『批』の部首は『てへん』で、四画です。
部首索引の四画の欄から探した『てへん』に添えられているページ番号を開きましょう。
そこには、同じ『てへん』の漢字が『つくり』の画数の少ない順に並べられています。
字の上の数字は、つくりの画数です。
『批』のつくりの『比』は四画なので、そのあたりまでページをめくって、後は、しらみつぶしに『批』を探しましょう。
(見つけられなかった時のために…。577ページです。念のため。)

『批』には『うつ、おす』や『天子の回答』などの意味があるようです。
(天子とは、中国の皇帝や日本の天皇のこと。)
さらに『批』から始まる熟語が紹介されていますが、その中の『批判』には『上奏文の内容を、天子や大臣・上級部署が判定する』とあります。
また、『批准』は『下級の部署が差し出した文書を上級の部署が許可する』と説明されています。
どちらも『お役所の言葉』として、昔から存在していたわけです。

ここからは、僕の想像です。
欧米式の、条約を結んだり大使を派遣したりという現在の外交は江戸時代末期の開国を経た明治時代に本格的に始まりました。
当時は天皇が実際に国の政治の最高責任者だったので、『国家の最高機関で承諾されて条約が結ばれる』ということは、すなわち『天皇の承諾を得る』ということでした。
そのような新しい外交の行為を指す言葉として、おそらくごく自然に『批准』という言葉が使われたのではないでしょうか。
『批判』は、昔は純粋に『良いか悪いかを決める』という意味として使われていたと思いますが、たとえ最終的に『良い』と判断されても、それまでの過程で問題点はないだろうかとひとつひとつ検査されていたせいなのか、いつの間にか『悪い点を指摘する』という意味で使われるようになったのでしょう。

ちなみに、国語辞典でも『批准』は元々の意味も解説されていますが、『批判』については、それが天子の行為を指す言葉であったことまで解説しているものは、ほとんどありません。
厳密な意味が定められた外交上の用語として使われることになった『批准』は、その後用法が変化することなく現在まで続いていることに対して、『批判』は少しずつ意味が変化していって、今では我々庶民が日常的に使う言葉となっているというのは、おもしろい経緯です。

ここまで言葉の意味を掘り下げると、『国語』の科目だけではなく『社会』の科目の知識としても使えるようになります。
漢字に限らず、学校で教わる知識をもっと深く調べていけば、それらが科目の垣根を超えてつながり、テストの時にしか使わない役立たずの知識ではなく、自分が何か物事を考える際の土台の言葉、土台の知識となり、自分自身と切っても切れない結びつきになるはずです。
おうむ返しにしか使えない知識ではなく、細かく噛み砕かれて分解されて、他のいろいろな場面で応用できるようになった知識、それを多く蓄えている状態を『教養が深い』と表現するのだと思います。


さて、中学校では定期テストなどで、より強く『勉強すること』を意識させられると思います。
しかし、『学生の本分は学業であるから、とにかく勉強していろ』という考えは、大切なことを見落としています。
そもそも何のために学ぶのかといえば、それは大人として最低限の教養を身につけるためであり、さらには自分の夢や目標の実現に必要な知識や技術を身につけるためです。
学んだ後のこと、将来のことを考えずに学校での成績の浮き沈みに一喜一憂するばかりでは、徐々に勉強への興味を失っていきます。
しばらくの間はテストでの順位を上げることに熱中できても、より難解な内容を学ぶ上級の学年・学校へと進むごとに、勉強がつまらなく思えてくるはずです。

中学生は、我々大人達から見ればまだまだ子どもです。
しかし、自分の未来の大きな岐路に初めて立たされる、その直前の大切な期間です。
成人への本格的な準備が、ここから始まります。
中学卒業後に高校へ行くにしても、普通科のほかにも工業系、農業系、商業系、情報系、看護・福祉系など、いろいろな選択肢があります。
もちろん、中学卒業後すぐに就職しても構いません。
いったん社会人になった後で、大学を受験できる資格(高等学校卒業程度認定試験。昔の『大学入学資格検定』)を取得して大学へ進むという道もあります。
そのような重大な選択を迫られる中学生は、まだまだ幼いとはいえ、やはり、もう『ただの子ども』ではありません。
その大切な中学校での3年間を、テストの結果を気にしてばかりで過ごすのは、とても危険です。
『学生の本分は学業である』ならば、その学ぶ意味や理由を、常に自らに問い続けるべきです。

自分が大人になったらやりたいことを思い描いて、そのためには何が必要なのかを考えてみてください。
12歳の自分が考えても、きっとどこかに間違いがある、と諦めたり恥ずかしがったりしないでください。
それまで自分が生きてきた中で得た知恵だけで現在の新しい問題に対処しなくてはならないというのは、すべての年齢の人間にとって同じことです。

一人きりで考えるのは無理だと思うのなら、是非、友人と話し合ってください。
中学校で出会う友人の中で、当たり障りのない世間話だけでは終わらない、どんな悩みでも打ち明けることのできる、親友と呼べる友人が、必ず一人はできます。
親友とじっくり語り合って、おぼろげな夢をはっきりとした目標として、どんどん磨き上げていってください。
そして何よりも、お父さん、お母さんと真剣に話し合って、自分の目標への理解と協力を求めてください。
学ぶ理由を突き詰めてそれに納得できたなら、熱意を失わずに勉強し続けることができるはずです。

そしてこの一連の過程、漠然とした願望を目標として明確に定め、そこへたどり着くための道筋を考え、仲間の意見を聞いて修正を加えながら協力を得て、地道に努力を重ねて遂には達成させる、それこそが『立派な大人』の姿だと思います。



この辞典が、○○さんの教養を深める助けとなることを祈ります。
この先次々と直面することになる新しい問題に対して、おうむ返しのような硬直した答えではなく、○○さん自身の思考で、○○さん自身の言葉で、自由自在に答えを編み出せるようになることを祈ります。
そしてその先に、立派な大人になることを祈ります。
たとえ華々しい活躍がなく歴史上は無名であっても、それぞれの持ち場で確かな業績を残す立派な大人達の仲間に入ることを祈ります。


これを手書きの手紙として送るつもりだったのですが…、ものすごく長い文章になってしまったので、プリンタで印刷して送ることにします(^ ^;)