いつ死ぬべきか

人は、いつ死ぬべきなのか。
糞尿を撒き散らしながらも最後まで生き続けるのが正しいことなのか。
周りに迷惑をかけながら生きていけば、死後は
『やっと片付いた』と、周りに思われるだろう。
そんな人生でいいのか。
退くべき時に退くべきではないか。



私の祖父は認知症だ。
祖父が死ねば、『やっと片付いた』と思うだろう。
胃ガンの疑いがあると知ったときは、正直嬉しかった。
もう長くない。\(^o^)/
…結局、ガンではなかったが。
こんなこと、考えてはいけないと思っても、自然と思い浮かぶ。
表では『早く元気になってね』などと言いながら…。



私は、迷惑をかけるばかりの身の上になる前に賢く死ねるだろうか。
いや、今現在、私は周りに迷惑ばかりかけている。
今、死ぬべきではないか。


冗談じゃない、と思う。
いつか挽回してやる、と思っている。
まだまだ若い、と思っている。
…将来、認知症になりかけていても、私は、同じことを思うのではないだろうか。


結局、こんな過激な文章をブチ上げても、現実世界で起こっているレベルの
ことしかできないだろう。
見苦しくてもギリギリまで生きることだろう。
生きるつらさと死ぬ苦しさを天秤にかけて、ギリギリまで迷うことだろう。
老いや病に身体が負けるのが早いか、心が負けるのが早いか、ただそれだけなのだろう。



諦めた。
これはもう、自然の成り行きに任せるしかない。
身体が負けるのが自然死なら、心が負ける自殺も、自然死ではないか。
自然の成り行きに任せて、成り行きに任せて。


どう死ぬべきかなんて考えるよりも、どう生きて何を子孫に残すのかを
考えたほうが利益になるだろう。
どうにもならない。
どうしようもない。
死とは、なんと巨大な影響力を持っているのだろう。


…と考える私は、自ら死を選ぶことができない弱虫なのだろうか。