『いのちの食べかた』を観た。

いのちの食べかた』のDVDを借りて観た。
『なんだ、人間もやっぱり自然の一部だったんだ』と思った。
"効率"が支配する宇宙の、一部だったんだ。



宇宙は、万物は、効率的な方向へ向かって動いていると思う。
静かな方向へ。


我々は、それに対抗する方向へ向かって動いていると思う。
すなわち、個人の欲求する方向へ。自由気ままな方向へ。
動的な方向へ。


生命エネルギーが弱まると、自由が制限され、意欲が低下し、
静かな方向へ流れていく。
最終的には、もっとも静かな"死"へと落ち着く。



宇宙は、効率を求めている。
それが、自分にとって受け入れられる状況ならば、そのまま受け入れていればよい。
宇宙の求める効率が、自分にとって不快な、受け入れがたいものならば、
もがいて抵抗し、その状況を変えればよい。
ただそれだけなのだ、と思った。

嫌ならアクションを起こす。
嫌でなければ、そのまま"効率的なシステム"を受け入れる。


もし、嫌でなければ、食事は三度とも、乾パンやビスケットにすればよい。
効率的だ。
もし、嫌でなければ、公衆便所の仕切りなど、取っ払ってしまえばよい。
効率的だ。
もし、嫌でなければ、生きることなどやめてしまえばよい。
なんと安楽で、効率的なのか。



"静"、"整"、"死"へとつながる"効率"。
基本的にはそれに従いつつ、自らの存在を脅かす"効率"には、抵抗する。


宇宙が求める"効率"に対する順応と抵抗。
それが、これまでの生命の歴史だったのだろうか。
その積み重ねの果てが、この現実なのだ。



さて…、この映画を観た結果、僕は、豚や鶏や牛に対して憐れみを感じた。
人間以外の生物は、他の種の生命をどのように思っているのか?
憐れみを感じることはあるのか?
それは分からない。
が、ともかく、僕は、利害関係の全くない他の種の生物に対して
憐れみを感じ、『何とかしてあげたい』という、非効率的な欲求を抱いた。


この、宇宙の"効率"に対する抵抗は、簡単には成し遂げられないだろう。
どうすればいいだろうか?
最終的には、植物の光合成のように、生物以外のものから直接エネルギーを
摂取できるような体へ改造するしかないだろう。


今は夢物語に過ぎないが、遠い将来、そんなふうに人類は進化しているかも
しれない。
多くの人々が、自身の日々の生命の維持のシステムを知り、関心を持ち続ければ。



一瞬では終わらない、長い不安と苦しみを味あわされていると思われる
豚・鶏・牛に対して合掌したい。
そして、畜産・屠畜に関わっている方々のことをもっと知り、理解し、尊敬したい。